巾上緑地
犀川通船の記 レリーフ
天保3年(1832)、松本庄内組白板村の折井儀右衛門らが藩の許可を得て、通船の事業に乗り出しました。はじめは米や酒を新町まで送りました。善光寺街道を通じた輸送よりはるかに低コストです。通航も長野まで伸び、明治の初めには活況を呈しましたが、明治35年(1902)篠ノ井線が開通すると廃されてしまいました。
石尊大権現碑
松本市HP写真集より
昭和43年(1968)
犀川通船船着場跡
江戸時代の天保3年(1832)から明治35年6月まで、白板から信州新町まで、犀川通船という舟運がありました。松本の特産品の押し絵雛などを運び、新町から牛馬を使って善光寺平に運ばれました。舟運の行程は60キロ、7時間を要しました。篠ノ井線(鉄道)の開通で廃止され、写真は船着場に建てた記念碑の除幕式の模様。